私の両親が相次いで亡くなった。 そのとき考えることがあった。 その1.葬儀費用が二人で約1,200万円以上だった。葬儀は僧侶二人の美しい合唱で盛大なものであった。葬儀後僧侶は毎晩読経にいらっしゃった。その都度お布施をお渡しした。お墓が完成したら開眼供養・納骨○○、・???・???、儀式がありお布施った。すべてが終わったとき両親の現金は百万円少々が残っただけであった。大学に通うであろう孫たちに少し残して欲しかった。 葬儀で大事な貯金をほぼ失った。 その2.しかもジメジメした真っ暗な墓石の中に両親の遺骨は安置される。虫がうごめいているだろうこんなところに私は入りたくない! * * * * * 私は以上のことをきっかけに死後のことを考えた。 ほとんど仏徒でない私はお葬式の時だけお寺・仏教と関わっただけであった。 私は「自然に帰りたい」と心底思った。 そしたら散骨しかない!! 電話は回されて最後に河川管理部につながった。「河にゴミ(!)を流すことは禁止です。流せば犯罪です!」、 私の遺骨はゴミ扱いされる。 そこで散骨は法的にどうなっているのか調べた(その結果を当社以下のPC版に詳し書きましたく(sankotu@dan.wind.ne.jp)。 諸条件のもと散骨は可能であった! ***これで散骨を合法的に実施できる*** 私自身のためと、少数であろうが散骨を望む人々のために、赤城山中腹に約二千坪の散骨地を購入した。弁当を持って朝から赤城山の地図にもない道を走り土地を探した。道が細くなり帰れなくなったことも、断崖から車ごと転落しそうになった。誰も土地を売ってくれなかった。「山は神聖なんだ、遺灰を蒔くなんて!帰れ!」と言われ続けた。藤岡や桐生方面の山も探した。2ヶ月後偶然に造園業の社長と知り合ってその社長の山を購入できた。 100年後 日本人の70%は山の散骨を選択するだろう。 海の散骨は「捨てる」感があるのでどうなるでしょう?
![]() 前橋市の小此木氏 |