私の両親はお坊さんによる葬儀とお墓に入ることを希望しました。二人で一千万円以上かかりましたが、二人がそう願ったのですから良いお金の使い方であったと思います。
私はと言えば、神も仏も信じずに生きてきて、死んだら神だ仏だというのでは私の生きざまが最後の最後でひっくり返ってしまいます。ひっくり返された上に多額のお金を払う羽目になるなら、死んでも死に切れません。
私は子どもたちに「お父さんは若い頃からお坊さん無しのお葬式と散骨がいいと思ってた。お父さんが死んだら、親しい者だけで小さなお葬式を上げて欲しい。お坊さんは決して呼ばないで欲しい。お線香の代わりに花一輪がいい。そして骨は利根川にまいて欲しい。暗くてジメジメしてゲジゲジ虫がはいずり回っているようなお墓の中に入りたくない。」と何度も話しました。すると娘が「わかったよ、お父さん。そうするけど東京の人は利根川の水を飲んでいるんだよ、いいのかな。」
実は私もそのことは潜在意識の中で、しかも漠然と気になっていた。娘の言葉で顕在化したので、私はハッとして市役所へ行き尋ねましたが、何もわかりませんでした。しかし保健所で何かわかるかも知れないと教えられました。保健所に電話して職員から言われた言葉は「それは絶対だめだよ、ゴミの不法投棄だよ。バレないように夜こっそりまいたりすれば、悪質な犯罪行為だよ。」と言われました。
遺骨ってゴミなんだ、フーンそうなんだ。散骨は簡単だと思っていたが難しい。人生の最後で警察沙汰にはなりたくないし・・・。子どもたちに散骨、散骨と言っては見たがこのままではお墓に入れられてしまう・・・ああ、どうしよう。
自由葬はどうなのか、やってもらえるのか。母の葬儀をお願いした市内で一番大きな葬儀会社に問い合わせたところ、「今まで自由葬というものはやったことがありませんので、できません。」となんとも冷たい返事。「何とか見積もりを出してもらえせませんか。」 「できないのですから見積もりは出せません。」 そりゃまあそうだ。他の葬儀会社でも同様の返事。散骨もダメ、自由葬もダメ。自由葬と散骨社に期待します。

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